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 armchair というと「肘掛け椅子」ですね。「肘」の部分が2つあるのに armschair とはいわないで armchair というのはなぜかなんて、あまり考えたことはないかもしれませんが、これにも理由が一応あります。arm は確かに2つついていますが、armchair という単語の arm は chair を修飾している形容詞みたいなものですよね。要するに arm は「肘つきの」という意味合いの形容詞のように機能しているから、数えられるとか数えられないとかという名詞の意識は働いてこないというわけです。美しい女性が1人の時には a beautiful lady ですが、2人の時にも two beautifuls ladys とは言わないで two beautiful ladys というというのと同じ原理だと考えればよいでしょうか。

 ところで armchair というと「肘掛け椅子」という名詞以外にも形容詞として使う意味があるのはご存知ですか。 armchair traveller とか armchair critic のような使い方をします。

 armchair traveller というのは直訳すれば「肘掛け椅子の旅行家」ですが、要するに肘掛け椅子に座って本を読んだりテレビを見たりしているだけで実際に旅行に出掛けたつもりになっているような人のことです。こういう感じから armchair という単語には「実際の経験から離れている」というイメージを持つことができそうです。

 ではそのあたりのイメージを持って armchair critic の意味を考えるとどうなるでしょうか。当事者ではなく、発言の責任も負わないで偉そうなことを言っている批評家のことだといわれれば、何となく納得してもらえるでしょうか。

 こうした形容詞で用いる armchair の使い方も覚えておきたいです。

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コメント

No title

実際の移動が多い割りには行き先が同じなので、最近は armchair traveler にあこがれております(ないものねだり)
「モノ」からイメージがふくらんだ状態で使われている単語は、たとえ辞書で見ても、短い説明ではなかなかイメージが作り難いですから、ASAKA.YUTAKAさん のブログは素敵なサポートですね♪

No title

ASAKAさん、こんにちは
armchair が“複数形で使われない”ことには、何の疑念も浮かべたことはないですが、
"armchair traveller" "armchair critic"という使われ方、勉強になりました。
特に、世の中には armchair critic はゴロゴロいそうです。(笑)

No title

うろこさん、こんにちは。
armchair traveler にあこがれますか。なるほど。うろこさんの立場ならそうかもしれませんね。
私は armchair traveler にさえなっていないので、うろこさんとは別の意味で armchair traveler くらいにでもなりたいというあこがれがあります。(笑)
これからもよろしくお願いいたします。

No title

Nemo さん、こんにちは。
> 特に、世の中には armchair critic はゴロゴロいそうです。(笑)
そうですね。私もまさにその1人です。(笑)
armchair critic の方には armchair critic だと自覚して発言してもらいたいですね。(笑)

No title

肘掛け椅子に座っている‥というと、なんとなく知識人とかインテリって感じがしますけど、やや批判的なイメージで使われるのですね。日本語だと「机上の空論」みたいな感じかな?イスじゃなくて机ってのが面白いなあ‥。

No title

ぱすたさん、ありがとうございます!
> 日本語だと「机上の空論」みたいな感じかな?
まさにそんな感じです。armchair theory とか armchair plan で「机上の空論」です。desk theory とか desk plan とも言いますから、こちらだと日本語と感覚が同じですね。

はじめまして

ASAKA さま
はじめまして。と申し上げますか 何度も拝読しに参っておりましたがはじめてコメントを書かせていただきます。
実は先日の tursiops さまのブログへのコメントを拝読いたしましていたく感動いたしました。
実は私も息子のことでなかなか大変でございました。今でしたら多動性障害とか学習障害とかって名前がつくのでしょうが とってもゆっくり大きくなる子で 小学校に入っても字が読めず計算もできず勉強はすべて私が試行錯誤で教えました。
そしてそのおかげで今の私がおります。自分がわかるからといって 人も同じようにわかるかと申しますと それは違うのですね。
息子は今大学院に行っておりますが 大学の時自分が人となんか違うと思い図書館で調べたのだそうです。そしてある日 「お母様 わたしは学習障害者なのかなぁ」と言いました。
私は「そうかもしれないけれど そうじゃないかもしれない だって君は今きちんと大学に入れたし成績だって悪くなかったじゃないの 小学校の時先生に随分いろんなことを言われて心配だったけど 昔っからそういう子はいたし 人によって物事の理解の仕方は違うのだからそれをすぐ障害と名前をつけてしまうのはいかがなものか というのがママの意見だから 調べることもしなかったし 君には君の良さがあるし 君には君の大きくなり方があるの で 今を見てみれば ちょっと人とは違うかもしれないけれど ちゃんと大学院に行っているし研究もきちんとして学会でも発表しているし 英語だって同じ年代の子と比べればちゃんと話せるじゃないないの なんか問題あるの? まあヘンジンは ママとパパの子だから宿命と思いなさい」 
それから 一切そのことを言わなくなりました。
でも 今の私があるのは息子という宝を授かったおかげであることは確かなのです。
知識があるということと 教えられる ということは別モノでございます。
いつも感服して単語のわかり易いご説明を拝読いたしております。
長々と失礼いたしました。

No title

Lisa.K さん、ご訪問ありがとうございます。
Lisa.K さんのブログも大変役立つことが多く、私も時々除かせてもらっています。今後ともよろしくお願いいたします。
自分の人間理解というのが平板で浅いものだったということを、この年になっていろいろと感じさせられることが増えました。何となくわかるようになったつもりのことで一般化すると、とたんに個別の複雑さを無視してしまっている事実に気がつくなんてことを、相変わらず繰り返している感じです。ちょっとわかった気になるというのがおごりなんだということもわかりかけてきたのですが、この癖から未だに抜けずにいる自分がいます。

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